amefurijinのブログ

マンガから得られるものについて書いてみる。

時間の使い方と人生の巡り合わせ

 人生の長過ぎる時代。若いうちはそれでも前半、と言えるわけで、いろいろ

試そう、遅くはない、というような言葉があるだろう。けれど、人生とは何か

というならば、「時間の使い方」以外のナニモノでもない。

 そうすると、違う方向に走り出した努力や費やした時間や費用を修正して

いくにはそれよりも多くの代償が必要になってくるはず。もちろん、生が

始まった時点でのリソースの差もある。もう一つ考えられるのは歴史の中

でどのタイミングに生きているのか、という巡り合わせ。どうしようもない

ことでこの時代に生まれたかったと願ってみてもかなわないことではある

もののやはり、この時代にこの年齢で生きているの、ってラッキーなのか?

という疑いは持つ必要がある。考え方ひとつで感謝できることはあるにしても。

 

 こういった差がある中、人生の後半、たとえば、40を過ぎてからその

先を考えてみると、実はリソースが減ったり、生命エネルギーが下がって

いく中で一定のものを維持したり、それよりも長い期間走り切らないと

気持ちよく往生できないという事実があるだろう。一定の生きづらさと

いうのはある。生きる力がほしい、生きるって難しい。

 やはり「不惑」という年代がズレつつある時代なのだろう。

自己と感情の葛藤

 仕事をすることで表現ができるかと思っていたけども、環境や時代の

流れのせいか、何も残すことができないような気分になってきた。小さく

ても誰かの目にちょっとでも止まる、そんな場所がブログかと感じた。

 

 時代とか人生とかそういったものについて、考えながら書いていく。

いつどこで死んでもそれほど後悔がない。死んでやる、と思うのと特に

死ぬ理由がないから生きているのとどれくらいの差があるのか。

 ただ、死は後戻りができないので、そう思ってから5年10年生きて

みるっていうのは大事。1ヶ月、1年が永遠に感じられても時間が経つ

ことで見える景色は変わってる。

 

 逃げてもいい、守りに入ってもいい。だけど、何かのせいにしても、

自分でできることは変わらない。自分でなんとかなる、なんとかする

と思ってもどうにもならないことがある。でも、感情は抑えがたいもの。

こうしてどこかで昇華する必要はある。